昭和40年(1965年)6月 吹奏楽部発足
昭和40年6月頃学校側から1年から3年の全学生(定員360人)に対して吹奏楽部の部員募集のアナウンスがありました。
この時確か当時の1C(化学工学科一年)の教室に40名ほどの学生が集まりました。
化学の清水先生から趣旨に関する説明があり、また他の部活との掛け持ちは遠慮してほしい旨の要望もありました。
当時はほとんどの学生がクラブ活動に参加していて、吹奏楽部に加わるためにはそれらを退部して参加することになります。
最終的には十数名が練習に参加することになりました。勿論中学校での吹奏楽経験者は計5名ほどいましたが、大部分が初めて楽器を触るというメンバーで構成されていました。
どうも記憶があいまいですが、当初は敷地の南西の隅にある建築工事の仮小屋2Fで教則本を前に音を出し始めたようです。
初代顧問は英語の西先生、部長は1期生松田さん(電気工学科、担当楽器不明)でした。
後日談ですが、学校が主導して吹奏楽部を創設したのはこの年予想していなかった楽器購入の予算が付いたためということでした。大変幸運なことでした。当初は全くの手探り状態で勿論曲の演奏などからは遠いものでした。
これでは多分先はないと学校が思ったかどうか、当時音楽の授業を受け持って頂いていた勝立中学校の岡本先生にご指導をして頂くことになりました。
先生は大編成のクラブでは大きな実績を上げておられましたが、当時の我々の技術・編成ではなかなか思うような演奏は出来ませんでした。
音に厚みを出し合奏の楽しさを味わえるようにと勝立中の生徒を連れて来て頂いたこともあります。
その中には後の名部長の松井君(機械工学科6期生、T.Sax.、Cond.)の顔もありました。2年目までは年に一度の体育祭でファンファーレを吹く程度というようなものでしたが、それも奇跡的にミスなく出来るとやんやの喝采を浴びました。
年末には顧問の西先生のご自宅でぜんざい会におよばれしたのも楽しい思い出です。
昭和42年(1967年) 秋 大牟田市民音楽会(大牟田市民会館)
それでも石の上にも三年。大牟田市民音楽会。
昭和42年秋に有明高専吹奏楽部がついに大牟田市民会館のステージに姿を現しました。4期生及び5期生が豊作でした。
・・・とはいえ欠けたパートがあり応援を頼んだようです。
岡本先生の指揮で22人の編成で序曲「ローマの夢」を途中止まることなく演奏できました。
みんなで大いに達成感を味わいました。
昭和43年(1968年) 8月
第1回 西九州三高専(有明・久留米・佐世保)合同演奏会
(石橋文化センター)
この前年の夏、大分で開かれた高専大会に便乗して九州地区の高専の吹奏楽連合体を組織するための会合が持たれました。
三高専それぞれの吹奏楽部員の大編成へのあこがれを何とか実現して大曲に挑戦したいとの思いが一致し、夏休みに開催当番の高専に合宿して実施するという方向が決まりました。
そして43年の夏休みに久留米高専の体育館で2週間の合宿を行いました。久留米高専の指導をされていた九州交響楽団の大槻信夫さんと、この年本校に赴任された国語(古典)の穴山健先生(九響で非常任コントラバスを担当)指導・指揮で石橋文化センターでの演奏会をやり遂げることができました。これは音楽的・人的交流においても非常に楽しくまた意義のあるものでした。
一方でその余韻が冷めきれずそして大編成への夢捨てがたく、単独でもなんとかもっと厚みのあるものをと思いが出てきました。
これからは計画性をもって楽器を揃えていきたいと考えるようになりました。
勿論卵が先か鶏が先かの議論はありますが、穴山先生、部員、学生係の西村係長さんのご協力を得て昭和48年にシンフォニックバンドが編成できることを目指して『有明高専吹奏楽部整備五か年計画』なるものを作成しました。
そしてなんとこの計画を基本として昭和44年度から予算が付くようになりました。「そりゃティンパニーが欲しか」「ダブルリードを何とかせにゃ」「スーザフォンは行進にはよかけど・・・」とかなんとか。
自衛隊の払い下げのオーボエが来ました。CL.の小田君(電気工学科7期生、Ob.)がオーボエに挑戦することとなりました。
現在のようにYouTubeやいろいろな資料があるわけでもなく彼は福岡までレッスンに通うことになりました。
現在であればOB・OG会から何とか支援ができたと思うのですが・・・。
昭和44年(1969年) 8月
第2回 西九州三高専(有明・久留米・佐世保)合同演奏会
(佐世保市民会館)
昭和44年の佐世保高専での第2回合同演奏会に続いていくのですが、この時は佐世保駐屯の自衛隊音楽隊の隊員の方々から指導を受けることができました。この時も夏休みに佐世保高専で合宿を行いました。
当時オーボエは非常に珍しく、オーボエの隊員の方も希少な楽器の同志という感じで熱心に指導をしていただけました。
演奏会は自衛隊音楽隊の行方隊長にも指揮をしていただきました。勿論大成功だったと思います。
余談ですが久留米でも佐世保でも夏休み中に暑くて寝られないという事はあまり聞きませんでした。
気候がずいぶん変わったものだと思います。
昭和45年(1970年)第1回 定期演奏会(大牟田市民会館)
佐世保での三高専が終わった44年の秋から何とか自分たちの定演を行いたいと部員の皆さんからの声が大きくなり手探りで準備を進めることになりました。
演目の殆どがこれまでに演奏なり練習なりを行った曲でしたが、その練習はたいへんでした。
45年1月の30名に足らない人数で大牟田市民会館において第一回定演を開催することができました。
卒業研究に追われる5年生は夜の9時過ぎに練習を終え、それから卒研に駆け付けることもありましたが、4、5期生は費用を賄うためにグリーンランドのゴルフ場でキャディーのアルバイトをしたという話を後で聞き頭が下がりました。
昔は取り巻く環境的には良くも悪くも色々な方面で現在とは異なっていると思います。
第一回定演当日は達成感のある良い演奏会が出来たと思います。
穴山先生が奇跡的に赴任していらしたタイミングや、初期の岡本先生のご指導、吹奏楽部を支援して頂いているとの感が強かった学校の職員の方々や多くの先生方に見守られながら幸せな創部期を過ごすことが出来たと心から感謝する次第です。

令和7年3月吉日
名誉会長 鶴 良夫(機械工学科3期生) 記
略歴 1962年~1965年 大牟田市立船津中学校吹奏楽部
(初めて金管楽器を触った)
1965年~1970年 有明工業高等専門学校吹奏楽部
(ホルン、指揮、部長)
